2005年11月13日

「新たな戦没者追悼施設」は「生類憐れみの令」と同じ過ち

「新たな戦没者追悼施設」は 「生類憐れみの令」と同じ過ち

江戸時代の「うらみつらみ」 を忘れない困った男です。
さて、今、
「国立追悼施設を考える会」(山崎拓会長)
            でお考えいただいている
     (考えるだけにして欲しいのだけど・・)
「新たな戦没者追悼施設」
      確かに正しい方向に思えるんだけれど 
実はね
「生類憐れみの令」 を考えると
         ほとんど一緒なのよ。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/kettei/021224houkoku.html#dai1
まずは上を読んで欲しいのだけれど

未来への平和構築への活動を精神的に保障するもの
国家が本当に「精神」というものに立ち入っていいの?
だろうか 

象徴的施設を国家として正式につくる意味があるのである。
−これは宗教によっては「国による偶像崇拝のすすめ」 ととられる

つまり小生はこういうことがいいたいのさ
それが正しいことであっても
       「生類憐れみの令」と同じで
そのことに関する
「個々の人間にはみんなが正しいと思うことに関しても
 正しいという思いの強弱はあるんだ!!

確かに思想信条上の自由というと
物事の「いい・悪い」等々の判断についてのことやもっと内面的なことの自由と思われるだろうけど
それ以外に

「正しいと思うこと(悪いと思うことだってそう)に
関しても
                 正しいという思いの強弱
だって思想信条の自由なんだって

そういうものを認めないと
      「生類憐れみの令」が再現する恐れがあるんだ

「税金」というものを使うと
     その費用が例えば国民一人当たり10円としても

ある人にとっては100円だしてもいい

また

ある人にとっては5円ぐらいが適当とおもうかもしれない
そういった思いの強弱が表現できない
       これって不自由なんだ!!!!!!!


これは「国家による善行の奨励」のように見えるんだけど
   「国家による善行の強制」ともいえるんだ

それと
・いつ
・どこで
・だれが
・何をした
といった行動だけではなく ここに
・どういった思いで
という思想信条をかみしたときに

まず
・どういった思いで・・・平和を祈念するために
そして
・どこで・・・・・・・・新たな戦没者追悼施設
・だれが・・・・・・・・小生

が固定されていいんだろうか

国家はそういった部分にまで関与していいんだろうか
行き着く先には

「生類憐れみの令」 と同じ結末が待っている 我々は人権のなかでももっとも大切な
思想信条上の自由を失うことになる

国家が「善を独占してはいけないんだ」

posted by ddnodtty at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。